わが国の多くの医療従事者は、痛みに対して無頓着過ぎるのではないだろうか。
 痛み止めの効かない、激しい痛みをもった患者に対しては、痛みに立ち向かう勇気や気力が高まるように励ますことが医療従事者の義務のはずである。しかし、現実は逆で、患者の気持ちを萎えさせるような言動が多いと感じている。
 
 我家のWebサイト(http://www006.upp.so-net.ne.jp/wakasama/)やこのブログを通して、耐え難い激しい痛みを持った患者さんとしばしば出会う。その多くが「仕方がないのです。」とか「もう治らない。」と医師から言わるという。
 我慢の限度を超えた激しい慢性的な痛みを抱えた患者が、医師から「仕方がないのです。」と伝えられたら、どんな気持ちになるだろう。それは、「死ぬまでその痛みから解放されることはない」と宣告されたと同じことである。誠に残酷な宣言であるが、医師は、そこまでの覚悟をして、その言葉を発しているのであろうか?このような発言は、患者を追い込むということを知ってほしいと思う。
 
 また、NHKの痛みを取り上げた番組で、ある医師が言っていた「痛みが悪化しやすいのは、痛みのせいで人生が駄目になったと思う人」という言葉も辛い。「痛みの責任は、あなたにある。」と言っているのと同じである。
 このようなことを実際の診察でも患者に告げるのだろうか。もしそうなら、激しい痛みに耐えるだけで精一杯の患者は、落胆し再びこの医師のところを訪れることはないだろう。医師は目の前から患者がひとり減るだけだが、患者は、痛みから逃れることはできない。激痛だけでなく心まで傷つけられ、失意のうちに帰宅するのである。
 おそらくこの医師のところに再び来るのは、気の持ちよう次第で、何とか乗り切れそうな中程度以下の痛みをもつ患者だけである。つまり、この医師は、手間のかかる重篤な患者を(無意識にだろうと思うが)切り捨てて、扱いやすい患者だけ診ているということもできるかもしれない。
 
 患者が医療者に求めること、それは、正確な診断と適切な治療である。したがって、患者は、痛みの様子などの症状を正確に伝えようとする。それなのに、大げさとか精神的な弱さとか、怠けるための口実と言われてしまうことがある。 痛みを、他人に伝えるのは難しい。原因の分からない痛みを持った患者の多くは、家族や友人にもわかってもらえず、もどかしい思いをし、孤独と闘っている。 医療者には、このような切ない患者の気持ちを理解してほしい。 そして、患者と共に痛みと闘ってほしい。患者は、その痛みから逃れることはできないのだから。
 
【参考】
筋肉の痛みとトリガーポイント 言葉の重み
http://blogs.yahoo.co.jp/mfdct919/33321423.html
 
【こちらもご覧下さい】 http://www006.upp.so-net.ne.jp/wakasama/
脊髄損傷後の難治性疼痛について→http://www006.upp.so-net.ne.jp/wakasama/itami/