2011年02月

 日本人は、「忍耐は美徳」という国民性を持っている。それは素晴らしいことではあるが、他人の痛みに対して無頓着になってしまうという弊害もあるのではないだろうか。
 またそのため、世間では「痛みは、気の持ちよう、気持ちを強くして我慢する」という考え方を持つ人が多いようだ。しかし、そういった考え方が、わが国の痛み医療の遅れを招いているという一面があると思う。

 痛みは、一般的に、身体の異常を知らせる警告信号ととらえられている。しかし、脊髄の障害や脳卒中などによる神経障害性疼痛、線維筋痛症、CRPSなど警告信号としての働きのない、無意味な激しい痛みを持つ患者がいる。そうした患者の多くは、正しく診断されず、理解されないことを嘆き、絶望し、あるいは侮辱され傷つき、痛みに立ち向かう気力さえ奪われた状態に置かれている。
 
 このような患者が救われないのはわが国の医療制度の問題も大きいと感じている。
 例えば、このような痛みには、抗てんかん薬、抗うつ薬などの一部に、効くと証明されたり期待されたりしているものがある。しかし、それらはわが国では、痛みに関する適応がなく、保険適用の対象になっていないために使用できない。
 更に、大麻の薬効成分であるカンナビノイドは、このような痛みに有効であるとされ、海外では、治療に使われ始めている。しかし、未だわが国では、医療用に使うことを懲役刑でもって罰するとしている。
 また、難渋する痛みへの対応として、諸外国では、各科が連携して治療にあたる「学際的痛みセンター」が多数設けられているようだ。そこでは、患者の治療だけでなく、医師への教育も行われており、そのため一般の家庭医も痛み治療に関しての知識が充実しているという。
 
 私の妻も、脊髄の障害による耐え難い痛みを持つ一人だが、今のところ日常生活は保たれている。それは、痛みを理解し、共に闘ってくださる医師とめぐり会えたという幸運があったからだ。そのようなめぐり会いのない患者さんは、日常生活もままならず、声さえ挙げられず苦しみ続けている。 幸運に頼らずとも、すべての患者が救われる仕組み作りを切望している。
 
 厚生労働省は、わが国の痛み医療が諸外国に比べ遅れていることにようやく気づき一昨年の暮れから「慢性の痛みに関する検討会」を開催し対応を始めた。
 
 この動きの進展のため、患者やその家族が力を合わせて働きかけていく必要があると思う。

 他人の痛みを思いやれる社会が構築され、
 痛みに苦しむ人々の苦しみが
 少しでも和らぐことを願わずにはいられない。
 
 
「慢性の痛みに関する検討会」からの提言
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000000ri9u-att/2r9852000000ribb.pdf

厚生労働省への要望や質問はこちらへ↓
https://www-secure.mhlw.go.jp/getmail/getmail.html
 
 
【こちらもご覧下さい】 http://www006.upp.so-net.ne.jp/wakasama/
脊髄損傷後の難治性疼痛について→ http://www006.upp.so-net.ne.jp/wakasama/itami/
 
 

 

今日は、痛みに関係のある情報を
二つ見つけたので報告したい。
一つ目は、在日米国商工会議所から出された
「日本の健康増進、生産性向上に向けて」という政策提言集である。
http://www.accj.or.jp/doclib/advocacy/HC_WP_J.pdf
18ページに
「慢性疼痛治療による健康増進」という項目があり
慢性疼痛患者の治療が不十分で、
社会的、経済的に大きな損失を生じているなどと指摘し
疼痛に関する研究の推進などを訴えている。
二つ目は、「疼痛jp」というファイザー社のページ。
http://toutsu.jp/
神経障害性疼痛について分かりやすく説明してある。
このような情報が増えているのは
治りにくい痛みについて社会の関心が
高まりつつある証拠かもしれない。
春の訪れとともに、
皆様の痛みが和らぎますように。
 
【こちらもご覧下さい】 http://www006.upp.so-net.ne.jp/wakasama/
脊髄損傷後の難治性疼痛について→ http://www006.upp.so-net.ne.jp/wakasama/itami/

 「痛み」を他人に理解してもらうのは難しい。妻のように原因不明の、しかも、常時続く激しい「痛み」はなおさらである。医師であってもそれは同じで、このような病態を理解している医師に出会うのは、かなり幸運であると思う。
 幸いにも、妻は普段「痛み」をよく理解した上で治療にあたっていただいている。だが先日、ある医師から残念な言葉を聞いてしまった。
 そこで、大変失礼なことかと思ったが、今後のことを考えその医師に手紙を書いた。
 以下にその内容を載せる。
 
=======以下 手紙文================
 
○○○○先生
 家内が大変お世話になりありがとうございます。お優しく穏やかなご診察ぶりには敬服し、また感謝いたしております。
 
 さて、先日の診察の際先生は「痛みを気にしない人もいる」と家内に告げられたとのことですが、そのご発言についてご一考いただきたいと思います。
 
 「激痛」が気にならない人というのは、まずいないのではないでしょうか。「心頭滅却すれば火も亦た涼し」という境地があるのかもしれません。しかし、修行を積んだ僧侶ならともかく、一般の患者にそれを期待するのはいかがなものかと思います。
 あるいは、家内の痛みを軽く見ておられるのでしょうか。(家内の痛みは、それまでの人生の中で最も強いのではないかと思われる痛みが、意識のある間中続くという激しいものです。)
 
 それとも、脊髄損傷者が持つ痛みは、すべて同程度とお考えでしょうか。
 2004年の 日本せきずい基金「脊髄損傷に伴う異常疼痛に関する実態調査報告書」によると、脊髄損傷後に痛みを発症させているケースは全体の75.3%、まったく痛みのない者は19.2%、生活に支障のある痛みをかかえている者は26%、となっており、脊髄損傷者の痛みの程度は、全然痛くない人から、中程度に痛い人、我慢の限度を超えた激しい痛みを持つ人とそれぞれであると言えると思います。
 その内、激しい痛みを持つ患者は、ほかの患者と比べられ、しばしば「怠け」とか「心の問題」とか決め付けられています。それは、痛みの苦しさに追い討ちをかける大変辛い状況だということをご理解いただきたいと思います。
 
 2年ほど前、我家のWebサイトにこの痛みについて載せたところ、全国の同様の痛みに苦しむ方々からメールが届くようになりました。それらの多くは、痛みの深刻さを理解してもらえないとか、医療から見放されたという内容です。私たち夫婦もこの病院にお世話になるまで同じような経験をしてきました。
 そんな仲間の一人が、昨年の暮れ痛みを苦に自死しました。他の仲間も、「いつ自分が、そこまで追い込まれるか」、「どこまで耐えられるのか」、「このままでは精神が崩壊してしまうのではないか」などという不安を持ちながらも、精一杯生活しています。
 
 どうぞ、激しい痛みと対峙する患者の置かれている状況をご理解頂き、今後とも家内や私たちの仲間をお支えいただきますようお願いいたします。
 医学の知識のない私のようなものが、図々しくもご意見させていただくことは誠に御無礼とは思いますが、何卒お許しいただきますようお願い申し上げます。
 先生の、ますますのご健勝とご活躍をお祈りいたします。
 
===========以上 手紙文===========
 痛みを医師に理解してもらえないということは、患者にとっては、正しく治療してもらえないということである。耐え難い痛みを持つ脊髄損傷の患者は確率的には僅かである。しかし、確実に存在する。
 痛みを伝える方法は、今のところ患者の言葉だけである。激痛を伝えるその言葉が信用されないときの、患者の恐怖やあせる気持ちをすべての医療従事者に解ってほしい。
 
 他人の痛みを理解し、思いやれる社会になりますように。
 
 
【こちらもご覧下さい】 http://www006.upp.so-net.ne.jp/wakasama/
脊髄損傷後の難治性疼痛について→ http://www006.upp.so-net.ne.jp/wakasama/itami/
 
 

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